ほかでもなくクリエイター自身がアセット文化をネガキャンする日

ほかでもなくクリエイター自身がアセット文化をネガキャンする日

 特に個人開発においては何をするにも時間が足りず、完成させるためにゲームの規模を小さくすることもあります。
そんな中でアセットは頼もしい文化で、素材の用意にかける時間が少なくなればゲームの根本的な部分の推敲に時間を使うことができます。
一方で、ゲーム内に見知ったアセットが使われていたらその時点で反射的にクソゲーの烙印を押すような極端な考え方を持つプレイヤーも少なくありません。
なぜアセットが悪者にされてしまうのでしょうか。筆者の主観をもとに原因を考えてみました。

 一番の問題は、アセットを使うことでしか表現することの出来ない「手抜き感」があり、それを防ごうとした痕跡のないゲームが多いことにあると思います。
ドット絵とイラストが混ざっていたり、縁取りがあったりなかったり、1ドットのサイズがまちまちだったり、写実的なものとデフォルメ調が混ざっていたり、
空気遠近的には奥にあるはずのものが手前に配置されていたりと、なんの統一感もない素材の羅列は開発者の手抜きが疑われてしまい、致命的な悪印象になります。
このようなものはゲーム一覧画面でスクショを見た瞬間に足切りをされても文句は言えません。時代はどんどん忙しくなる一方で娯楽の選択肢はどんどん増えており、貴重な時間を楽しく過ごせそうかをシビアに判断されています。
クリエイターとして野心的に結果を求めるのなら、不統一な画面でリリースしたことについて問われた際に胸を張って答えられる必要があります。
「実画面に対してUIやタッチ可能領域の識別をしやすくしたかった」や「奥行きに応じてドットサイズを意図的に変えて遠近感を表現した」など、
明確な意図に基づいた法則性のある施策であれば問題はありませんが、「とにかく楽をしたかった」という開発者本位でグチャグチャにしたままリリースされたであろう作品も少なくありません。
そのようなものは素材を作るための手間暇を削減したのではなく「基礎的な美術監修」を怠っているといえます。しかし、プレイヤー側がそこまで正確な単語を使うわけではないので「アセットを使うのが悪」になってしまっているのかもしれません。
イラストの問題点を指摘する際、本当は解剖学の視点で誤りがあることを指摘しなければならない場合でもデッサンがおかしいと言われてしまうのに似ています。
とはいえ、正確な言葉ではなくても違和感が出ているのであれば問題自体は存在しているので修正すべきです。
(守破離の離にあたる、よくよく見ると不統一にもかかわらず全く違和感のないゲームというのももちろんありますが)

 アクションゲームなのにRPG/アドベンチャー向け素材を利用するなど、ジャンルの異なるアセットを使う場合も注意が必要です。
アクションゲームの背景は視認性のために前景のキャラやアイテムとハッキリ分かれている必要があるため空気遠近的に奥になるよう描かれますが、RPGの背景は立ち絵と組み合わせて1枚になる必要があるため手前に見えるよう描かれます。
そのため、アクションゲームでRPGの背景を使うと奥行きが近すぎて意図しない迷彩効果を生みやすくなっています。
また、RPGの背景は画面に対して大きな立ち絵を想定されており、それにあわせて物体が大きく描かれていることも特徴です。
ただでさえ画面に対してキャラが小さく、空気遠近的に遠くにあるはずのアクションゲームの背景に巨大な花が咲いていたら主人公は小人になってしまいます。特にサイズが決まっている人工物は無意識下で計測してしまいます。
また、キャラ素材を使う場合は素材以上の動きを作ることに制約があります。
例えば、歩行アニメしか用意されていないキャラ素材をアクションゲームに組み込もうとすると、移動以外の行動は予備動作無しの不意打ち攻撃になりがちです。
キャラにエフェクトをかけたり座標移動で予備動作を表現することはできますが、どうやってもそのキャラを注視しないとわからない範囲です。アニメーションしたほうが圧倒的にハッキリしています。
逆にキャラ素材に合わせて歩行しかしない敵キャラにしようとすると、行動パターンにバリエーションをもたせられずに見た目が違うだけで本質はワンパターンになりかねません。
 どうすればゲームが面白くなるかを追求する人がいる中で、初手のうちから用意した素材でできる範囲に可能性を狭めていては仕上がりに決定的な差ができるのは必至です。
それでは、アセットを共有してくれた方に対して『あなたがバリエーションを用意してくれなかったからこの程度になってしまったのだ』と文句を言うべきでしょうか?これこそが「ほかでもなくクリエイター自身がアセット文化をネガキャンする日」です。絶対にやってはいけないことです。
総じて、アセットの利用はあくまでも実作業時間を減らすものであって、グラフィックに対する知識や審美眼、さらには(規約で許可されているのが前提として)自分の企画に合わせて加工するといった技術面まで飛ばせられるものではないと思います。

 全てのグラフィック素材を自作する場合は
・全体のタッチを統一できる
・企画/仕様を最優先にできる
という強力な利点があります。アセットを使う場合はこれらの要素をどう補うかも戦略立てていきたいですね。

 繰り返しになりますが、「アセットの利用」と「美術監修の放棄」は別のものとして捉える必要があります。そうでなければ議論をしてもお互いに論点をずらしあって不毛な時間を過ごすことになってしまいます。

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