完成させることが大事?

完成させることが大事?

※作成時に必須で画像を求められるので、とりあえずゴリラ貼っておきます。

Twitterで他人の意見をちらほら見るようになって久しいけども、「完成させることが大事」「小さなものでいいから、まずは完成させること」との意見はそこそこ多いみたい。
言わんとしてることは非常によく分かる。
逆に、「エターなっても大丈夫」との発信をしている人をあまり見かけない。
結論としては "そんなものどっちでもいい" なんだけども、何故かふと書きたくなったので、「エターなっても大丈夫」との意見を一応ここに書いておこうと思う。

例えば、何か大作を作ろうとしたとする。
物語の構想を練って、仕様書を記載して、仕様書の記載通りに制作を進めて行くが、いざ形にしてみると制作前のイメージとは少しづつずれが生じて行き、やがてそのずれが修正不可能なレベルまで大きくなり、制作を打ち切る。
これはエターナルの一例。
ここで生涯の制作活動をやめてしまうのなら、「途中まで作った労力がもったいない」「小さなものでいいから完成させておけばよかったのに」といった意見が出てくるのも頷ける。
けども、ここで制作を辞めずにまた別の物語を考え、作り始めたのだとしたら、上記の失敗作は良い精査になったと言えるはず。

なぜ良い精査と言えるのかというと、そうだなぁ、例えばモンスターとの戦闘バランスのチェックで、モンスターが強すぎたらDBをいじって能力値の調整をするよね?
そして、程よいバランスにする。
これが精査だよね。
平たく言うと、悪い場所を見つけてよりよいものに作り直す。とでも言えばいいだろうか。
ではエターナルとなった場合を考えてみる。
面白いゲームを作ろうと思っていたが、制作したゲームが自分の納得いくレベルに達していなかったから作り直したとする。
これも、先のモンスターのバランスチェックと本質は何も変わっていない。
変わるのは規模の大きさのみ。
なので一度エターなってゲームを作り直しても、それはただの精査作業と、そう思う。
そうです、エターナルとはあなたがより良い作品を生む大工程の中の1部分にしか過ぎないのです!
なので、エターなっても全然問題ないです。

もしもだけども、もし、効率の良い勉強法として「まず完成させよう」と先人が言っているのであれば、それはありがた迷惑だなと思う。
何か決まった手順やスキル、覚えなければならない知識が固定のものならまだしも、ゲーム制作という分野では自由度が非常に大きく、人によって作りたいものも全く異なる。
なので、人によって必要な知識も異なるし、それに紐づいて興味を持つ知識も異なるし、となれば吸収しやすい知識も異なってくる。
そういった物事に対して確立した勉強法などあるものだろうか?
いや、ないんじゃないの?たぶん。
もちろん、ゲーム制作において共通して必要なスキルや知識はある。
ストレスの少ないUIやシステムにするとか、RPGなら移動速度の調整とか、戦闘バランスとか…etc
その習得のために、先人がお勧めの勉強法として一旦の完成を促していることに理解はできるので全否定はしない。
けども、それらを学ぶために完成させることは必須ではないし、勉強しなければいけないことはそれだけでもない。
それに小さな作品を完成させるのが勉強のためだとしたら、その小さな作品は作りたいものでも何でもないんでしょう?
何個か完成させて勉強してから作るか、それとも、作成中にエターナルして学びながら作るか、その違いだけでしかない。
「完成させよう」の声が大きい気がするんだけども、エターなっても全然問題なしです。

そして最後に全部ぶち壊していくんだけども、どう勉強していくかなど些細な問題。
些細過ぎる!
やってりゃ必要なことは大抵出来るようになってくる!
足りない分はコネとかお金で補ったりもできる( ^ω^ )
そんなことじゃなく、納得いくまでやり続ける根気が最も必要で、その為に…

 制作は時間のかかる作業だが、時間は捻出できるのか?
 作業に集中できる環境はあるのか?(他の趣味に邪魔されないか?)
 そもそも、作りたいものはあるのか?

といったことが大事になるのかなと思う。

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