はしがき
この世には「こっこ」という存在がいる。やつは王道RPG「トライサモナーズ」を制作している人間だ。
現在はいちクリエイターとしているが、そんな彼は闇の世界を生き抜き、魔王を目指すほど闇堕ちした存在であったのだ。
というわけで今回は制作者としての暗黒の歴史の数々を執筆していこうと思います。
学生時代:制作に入る前のおはなし
1998年3月17日に生まれた。幼少期から詩人たる一面があり、月を見ては綺麗だと言っていた。
そんな私の家にはスーパーファミコンが置いてあった。詳しくは覚えていないが、最初に遊んだ作品は「スーパードンキーコング」だった。けっこうハマっていて、紙にオリジナルステージを書くくらいだった。
小学生の頃にゲームボーイアドバンス、PlayStation2、DSを所持していた。(プレステについてはサルゲッチュ2しかなかったけど笑)
そこからポケモンに触れ始めた。他にもマリオやドラクエモンスターズなど小学生らしい作品をよく遊んでいた。
そんなストーリーに疎い私が今でも印象に残っているのが「ポケモン不思議のダンジョン」だ。あのストーリー、あのBGMがあったからこそ今ゲームを作っているのかもしれない。
ちなみに部活動ではトロンボーンを演奏して、ブラスバンドに携わった経験がある。
地獄の中学生時代は新たにPSPやWiiや3DSに触れた。加えて友達の家で一昔前のゲームに触れた(007、F-zeroなど)。中学生の頃はモンハンやゴッドイーターなどアクションゲームが多かった。上手ではないが、一番友達とゲームをした時期だったなー、と思える時期だった気がする。
あと、何鍵か壊れた電子キーボードでオリジナルの曲を演奏していた。作曲の心はここから始まっている。
高校生の頃は3DSとスマホゲームを中心に遊んだ。
3DSはモンハン4を学校から帰って深夜4時までプレイして7時あたりには学校へ向かうってこともしばしばあった(ちなみに小学生の頃からDSを布団にくるまってプレイするほどの輩でした)。
他にも外伝以外のドラクエを初めて遊んだ。7をプレイしていたが、前半の展開が暗くて若干トラウマ気味になった。
スマホではパズドラや白猫プロジェクトをよくプレイしていた。
特に白猫プロジェクトはストーリーやイベントをかなり進めるほどに遊んでいた。その延長線で自作シナリオ(非公開)を作った。シナリオを書くのはこれが初めてだったが、考えることに楽しさを感じた。
他にもテスト勉強をRPG形式にしてそっちがメインになっちゃうこともあった。
作曲については17歳の12月に初めてアプリを入れた。そのアプリが「Music Studio」だ。
その当時考えたシナリオをもとにBGMを作っていた。これが最初のBGMだ。
https://youtu.be/D1tYg3881T4
と色々あったが、学生時代はゲームを遊びながら創作心に目覚めた頃であった。
社会人前半:ツクールを使うまで
高校を卒業して社会人となった。文章はそれなりだが、高卒クリエイターである。新人だった頃は闇のクリエイター希望者だった。その時に作った曲は大体短調。イカれた曲の数々を生み出した。
その時に使っていたのが先ほども出た「Music Studio(メイン)」、「KORG(アプリ)」が多かった。ここでPCのCubaseも買っているが、使い方が分からなくて断念している。
ゲームのほうはアプリの「のべるちゃん」を活用してノベルゲームを作っていた。
当時考えていたシリーズのノベルを書いたり、海を題材にしたノベル(名前忘れたw)を作ったりした。
※なお今はそのデータはありません
上司に翌日の夕方までに彼女を殺すよう命じられるというとんでもない展開の作品であった。
プラチーネ戦記:最大の黒歴史ゲーム
ある日、RPGを作りたい気持ちが強くなってスマホのRPGメーカーなどを触れていた。しかし、処理落ちや操作難に苦しんだため、3DSのRPGツクールフェスを購入した。
色々テストで作りながら長編やってみようなかーって思った。その時に生まれた呪物が「プラチーネ戦記」だった。
天空をモチーフにしたファンタジーRPGだ。自信があったので素材も課金しまくって完成させて公開した。
しかし、結果は撃沈。星5中星2というとんでもない評価を叩き出した。
あの時はひどく落ち込んで原因なんてわからなかったけど、今ならわかる気がする。
・序盤の敵がワンパンしてくるゲームバランス
・支離滅裂なストーリー
・死ぬほど多いエンカウント
・寒いギャグ
・単調な戦闘
などあるが、こちらは別記事にてまとめようと思う。6日で公開をやめるほどショッキングだったけど今じゃネタにしている。
今遊べるのだったら悪い例として広めても良いし、クソゲーとして実況されるのもアリくらいである。
その後紆余曲折あってUnityに触れるも撃沈。プログラムが意味不明+エラーが起こってもどこが悪いかわからないため暗黒界へと葬った。
ただこれについては正しい判断だったと思える。なぜなら絶対エターナるやつだからだ。
ちなみに専門校へ体験授業に行ったことがある。プランナーとして行った。とても良いと思ったが冷静に値段を考えてやめた。
RPGツクールMV:コロナ禍を乗り越えて
それからコロナウイルスが流行り出した。それと同じくらいのタイミングで初めてPC版のRPGツクールを購入した。それがMVだ。
その後、自粛期間のGWに籠ってコロナ勉強ゲームを作った。それが「よう、この魔界に来た者よ!」だった。
内容としては7日間家から出られない探索ゲームで、奇妙な試練が待ち構える。
家から出たら魔界で爆発するとんでもない作品だったが、なんと1000人にプレイされる作品となった。
(※以下作品は要望があれば再び公開します)
次に作った作品がこの続編「よう、この魔界に来た者よ! 〜第二波〜」だった。
こちらは謎のアクションゲームで、テストプレイしていてもやけに高難度な作品だった。
ただ、内容が過激すぎたかplicyさんではR15指定の作品となった。
前作よりウケは悪かったが、友達にはめちゃくちゃウケたのでまずまずの結果だった。
次に作ったのが二度目の失敗長編RPG「ETERNAL MOON〜藍色の願い〜」だった(正確に言えば次項に出る「古今東西! トライサモナーズ(以下ここトラ)」の派生前作品)。
ゲームバランス等は良い感じだったけどバグがひどくて遊べるレベルじゃなかった。おそらくプラグイン競合の関係だけど、直し方もわからなかった。加えてストーリーもぐちゃぐちゃになり、結局ボツになった。
ただ失敗だけではなかった。初めてイラストレーターさんに依頼したり、ドット絵や自作BGMを入れるなど様々な勉強ができた。
他にも小物RPGを作ったりした。
(以下が小物シリーズ)
・とにかくBGMがおかしいRPG
・とにかく立場がおかしいRPG
・とにかく姿がおかしいRPG
・アイアルソード
プレイした作品としては昔のスクウェアさんやエニックスさんの作品が多かった(リメイク版なので今はスクエニですが)。ドラクエやFFも少し触れ、クロノトリガーはよく遊んだ。他にも大神やアナザーエデン(アプリ)などを遊んで見事なまでにRPGにわかへと変化していった。
作曲はPCを使い始めた。最初は「Studio One」の無料版で作曲していた。
RPGツクールMZ:数多なる闇を乗り越えて
上手くいかなかった私は、一度ゲーム界隈から引退しようと考えていた。アイデアは書くが、どうせ上手くいかない、と。
そんな気持ちになりながら私はコロナウイルスのワクチン(2回目:M社)を打った。その翌日、なんと40℃の熱が出て死にかけた。なにも動けない状態で私は家にあったゲームシナリオの本を手に取った。
前からゲーム制作の本は所持していたが、あんまり読んでいなかった。これを機に読んでみたらめちゃくちゃ参考になった。目から鱗だ。
ちなみにこの本は私の推し本である。
それから本を漁った。図書館に行ったり購入したり。長いと思いながらもおそらく10冊は読んだ。
そして読書しながら作り始めた作品が「ここトラ」だった。色々と理由があってここトラに派生したが、明らかに違いを感じた。
Wordを使ってシナリオをまとめたり、封印されしCubaseで作曲したりと、一回りグレードアップしていた。
しかしMZの使いやすさには感動した。プラグイン競合の注意が表示されたり、レイヤーが使えたりとめちゃくちゃありがたい要素が沢山あった。
今もなお紆余曲折しているが、それでもなおここトラを制作している。
まとめ
いかがだったでしょうか?
長くて読めないって人も大丈夫です。こんなにぎっしり餡が詰め込まれていて海に沈んだ人だと思うだけで気付きです。
今回はゲーム制作者として自分史をまとめましたが、このブログに書いていない部分はやらかし放題です。いじめられたり、カモられたり。人生難易度がレジェンドアルティメットウルトラハイパースーパーベリーハードな人間ですが、このお話は別場所にてまとめています(ゲーム制作とはあまり関係ないお話のため)。
ここ最近クリエイターの皆さまの温かさを知り、ここにいていいんだと思ったくらい闇の国に近しい存在ですが、今後とも制作・サポートしようと思います。
こんな長文を読んでくださった皆さま、本当にありがとうございました!
今後ともよろしくお願い申し上げます。
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